最強のモデルに出会った

こんにちは。

 

色々な人に毎日出会う素敵なお仕事をしております新田です。

 

いつもいつもいいモデルさんで撮影させてもらっていますが、

 

まさに最強の原石を見つけました。

 

クリスティーナ(僕がつけたあだ名)です。

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そう。

 

自撮りがクソ下手。

 

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何回撮っても、空いちゃうんですよねー右端が。

 

それはまあ良いとして、

 

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hair,makeup,photo   新田将行(robin)

styling  中村翔(代官山brooch)

ワンピース  comme des garcons(コムデギャルソン)

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hair,makeup,photo   新田将行(robin)

styling  中村翔(代官山brooch)

ワンピース  vivienne westwood(ヴィヴィアンウエストウッド)

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hair,makeup,photo   新田将行(robin)

styling  中村翔(代官山brooch)

ワンピース g.v.g.v  

 

と、このような仕上がりで、、、

 

クリスティーナ(あだ名)はまだ現役高校生で、部活に明け暮れまくっていて撮影はほぼそこまで経験なく、、

 

しかしなんというポテンシャル!僕は決めました。クリスティーナ(あだ名)ですごいの撮ります。

 

Chao!

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Tokyogirls on film

こんばんは。

 

最近は、「Tokyogirls on film」と題しまして、ハーフカメラにて撮影しております。

 

改造して光が漏れるようにしてみたり、途中でパトローネ開けてパソコンの画面で感光させたり、

 

色々楽しみながら、

 

「アートワーク」と「コマーシャル」の境目を楽しんでる、つもりです。

 

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自分自身「まだ上手くなれそうだ」と最近強く感じておりまして、

 

サロンワークに関してもアートワークに関しても、今はバシバシとインプットとアウトプット両方やっていきたいと思っております。

 

自分の許容範囲の資金と時間は全て自分の成長に使います。使い倒します。

 

Chao!

新田写真論

この「新田写真論」は2015年8月あたりから少しづつ書き始めた自分自身のレポートであり、

少しずつ加筆修正を加えていて、今もそれは続いている。

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1、はじめに

私は西洋の芸術、特に後期印象派、セザンヌ以降の西洋芸術からミニマリズム、そして現代美術がとても好きで、様々な文献や論文などを読み知識として蓄えてきた。

そして今自分の仕事に密接である「写真による表現」と「写真そのもの」について様々な観点から捉えたいと考えており、

芸術としての写真、ルポタージュ、時代を示すもの、コマーシャル、

その比較をしていきながら、より「写真」に向かいたいと思う。

 

2、絵画と写真

まず考えたいのは「絵画」と「写真」との違いである。

写真の歴史を学ぶ上で外せないのが、「ピクトリアリズム」という運動である。

 

ピクトリアリズムとは、乾板写真が広く導入された後、1885年ころから流行した写真の潮流に与えられる名前である。20世紀の初期に最高潮に達して、モダニズム写真が広い範囲にわたって出現した後の1914年以後急速に衰退した。

19世紀、写真技術の科学者と写真師は同じくくりで扱われていたが、このことに芸術としての写真を目指すものたちが不満をもったのが、ピクトリアリズム写真誕生のきっかけである。イギリスではリンクトリング 英語版(Linked Ring)と名乗るグループがピクトリアリズム写真を追求した。アメリカではアルフレッド・スティーグリッツがこの運動を主導した(スティーグリッツ自身は後にストレート写真に転向)

特徴

  • 空気遠近法を意識し、実際に肉眼に見えるように、近景にコントラストのはっきりしたものを置き、遠景を曖昧にする。
  • 地平線の位置などを厳密に合わせたうえで、表現のために風景写真に雲などを合成する。
  • 過剰な細部を省略して、表現したいモティーフや感情を表そうとする。

                    (wiki参照)

 

私は今写真を大きく二つに分類している。それは

「ピクトリアリズム」と「ストレートフォトグラフィ」である。

これはこのようにイコールで現代風に結ぶことができる。

「ピクトリアリズム」=「コマーシャル」

「ストレートフォトグラフィ=スナップ」

 

ようは「作り込んだもの」を撮るのか、「あるがままのもの」を撮るのか。

写真として、写真の強みを生かせるもの、という観点から言えば、「スナップ」が強いだろう。

「ピクトリアリズム」は「絵」に近づけていくことがゴールであるし、見せたいものの要素が決まっている。逆に言えばその「見せたいもの」が写っていなければ成立しないものである。

ということは「絵」に勝てないのである。

もし例えばビューティ広告を作るとして、セットを完璧に組んでモデルを完璧に仕上げて、それを人が見て一瞬で完璧に「写真かと見紛うほど」の完成度で、なおかつ修正を加えながらクライアントが求めるイメージを描くことができるならば、おそらくそこの現場にはカメラではなく筆が置かれるだろう。

もちろんそんな超人は今現在はいないのでカメラに頼っているわけだが、「コマーシャル」の究極は「絵」であると考えている。

では「スナップ」というものであるが、端的に言えば「何も手を加えなくてすでにそれがアートしているものを撮る」ということである。(または「撮ったらそれがアートになるもの」か。)

例えばブレッソンのような「決定的瞬間」であったり、森山大道のような「アレブレ」のスナップ写真であったり。

 

写真の強みとは、「その日のその場所のその時間に自分がいた」ということを証明できる点であろう。

「その日のその場所のその時間にしか撮れないもの」が無限に溢れているのがこの世界であり、

ハイデガーの言う通り、「人間とは根源的に時間的な存在である」。

昨日の景色はもう今日は撮れないのだ。

しかしながら昨日の景色を思い出しながら今日絵に描くことはできる。

すなわち「絵画」と「写真」とは強みと弱みが背中合わせにくっついており、

絵画にとっての強みが写真にとっての弱みであり、

写真にとっての強みが絵画にとっての弱みである。

 

私は以上のことから、「絵画」と「写真」は一人の人間に二つの人格を持つような存在で、同時に存在することは極めて難しい、

相容れない存在であるとこの場では定義する。(もちろんこのような定義は「プリントした写真に絵を描いて作品にしたら同時に存在するではないか」、というような「物質」としての思考におおよそ勝てるようなものではないが。ここで述べている定義はあくまで「観念としての」である。)

(もちろん「写実」だけが絵画の強みだと言っているわけでもない。)

 

3、「撮る」とは「選ぶこと」

ここでいう「選ぶこと」は「撮った後のピック」ではなく「撮る対象を自らが選ぶ」ということである。

決まった四角いフォーマットに何をどのように配置するか、ということである。

 

「あるがままの姿を撮りました。しかし対象を選んだのは私です。」これはアメリカの風景写真の巨匠、エリオット・ポーターの言葉である。

 

つまり「どういう眼を持っているか」が優秀なフォトグラファーとそうでないフォトグラファーを隔てる壁なのでないかと私は考えている。

セザンヌはモネを「彼は一つの眼に過ぎない。しかしなんという眼であろうか」と評している。

私はこの言葉に続くものが、パウル・クレーの「芸術とは目に見えるものを再現することではなく、目に見えるようにすることだ」というものであると考えている。

モネの描く睡蓮や光の移ろいは、写実的とは言えない。それは彼が「印象派」の画家であり、形が光に還元していく作風だからだ。

しかしながらそれは状況を捉え、人々を感動させる。

彼の愛した庭園や、ルーアン大聖堂も、彼の「眼」というフィルターを通した「絵画」を見て我々は「美しい」と感じているのだ。

つまりある対象を「自分が見たように」新たに作り上げていく、ということが芸術の本質であり、

まずその対象に何を選ぶのか、がとても大事だ、ということである。

 

4、自分が「見たもの」を見えるようにする

写真は機械を使って自分の見たものを切り取り(実際に切り取るわけではないが)、平面にする。そしてその機械には限界がある。人間の眼ほど優秀なレンズなどないのだから。

つまり自分が見たものと写真に撮れたものに違いがあるのは当然だ。つまり「自分が見たものを観客にも見えるように」加工や修正が必要で、それは写真特有のエレメンツであろう。

しかしここに写真の大きな落とし穴がある。

それは、写真は「自分が今まで見てきたものに大きく依存する」ということだ。

ここも「絵画」と大きく違う所であろう。

例えば全く同じイメージを持っていて、「絵画」と「写真」で表現する、という風になった時に、

もちろんそのものによるが、再現性は圧倒的に「写真」が高いはずだ。

なぜなら、「絵画」には白いキャンバスに描いていくという技巧が必要不可欠で、「写真」はシャッターを押せばとりあえず撮れてしまうからだ。

つまり「写真」の本質というのは「選択」なのである。

そしてその「選択」をするとき、人間の心理が大きく働く。

ファインダーを覗きながら、「ここだ」と思ってシャッターを押す。なぜ「ここだ」と感じるかといえば、「一度写真で見たことがある(似たものを見たことがある)」からである。

一度見たことがあるものというのは安心感があるので、「それがいい」と判断してシャッターを押すのである。

つまりは、その人の写真というのは、「普段のその人の眼」であると断言できる。

その人がどう見えているか。それを他人にも見えるようにするものが「写真」なのである。

【逆に永久保存版】instagramのフォロワーの減らし方

おはようございます。

 

今日は僕のinstagramを約1年半ほど活用してきた一つの集大成のレポートと思って頂きたいです。

 

そうそれは、

 

instagramのフォロワーの減らし方

 

です。

 

増やし方はいくらでも検索すれば引っかかってくるでしょう。

 

タグが11個以上つけろとか、フィルターは統一しろとか、、

 

しかし、

 

「減らし方」

 

なんて誰も書きませんよね。

 

しかしながら私新田は、フォロワーが10k超えたらやりたいなと思っていたことの一つに、

 

「自分が構築したinstagramのフォロワーを増やして人気ユーザーになる方法を完全無視したらどうなるのか」

 

がある。

 

というか、

 

「オレには一万人を超えるフォロワーがついている。もう何をやったって許されるんだぜ。」

 

という「無双モード」に入ったと勘違いしながら更新していく、的なことである。

 

やってはいけない簡単なリストはこちら。

 

・キャプションは短く簡潔に。名言めいたものはアウト。有名人でもないんだから誰も読まんし別に好かれない

・写真のトーンやサイズは統一。トップページに飛んだ時に見やすいかどうかを重要視する

・一日一回〜二回、同じ時間にpostする

・モードよりのテイストは好みが分かれるので、ナチュラル系やフェミニン系を続けてスパイス的にモード感のある写真をpostする

などなど。

 

もっとたくさんあるのだが、詳しいレポートはオンラインサロンの57unionの方にUPしたいと思っている。

 

そしてこのリストを完全無視してみた。

 

つまり、

 

・キャプションはあたかもアーティスト然とした名言ちっくなことを恥ずかしげもなく書く。しかもちょっと偉そう

・余白を入れるアプリを使わず、正方形や縦長などその時の気分でpost

・これまた時間もその時の気分でpost

・完全にモード感のある強めの女性像を中心にpost

これを一週間

ほど続けてみた。

 

それがこの結果だ。

 

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矢印部分がスタート地点である。

 

いきなりフォロワーが減り始めるが、なんとか食い止まる。

 

が、もう下げ止まりきかず、ドタドタと減っていく。

 

なんと一週間で80〜90人減ってしまった。

 

今までだいたい平均して毎日25人ずつくらい増えていたので、これは恐ろしい。

 

しかしこれの最も重要な点は、

 

「写真を撮っているのも選んでいるのも僕自身だ」

 

ということである。

 

「instagramは一枚の写真のクオリティよりもマーケティング力だ」という確たる証明なのではないか。

 

このレポートから得られる教訓は、

 

「変化を拒絶するユーザーは多いぞ」ということである。

 

まあでもそりゃそうで、

 

好きなバンドが急に方向性を変えたらその人たちのファンをやめて自分の好きな音楽を奏でるバンドの方に向かう、ということとあまり変わらないと思うのである。

 

そしてこれは結構全てのことに言えるのではないか、とも思う。

 

例えば僕がやっている美容師という仕事。美容室というフィールド。

 

売り上げが上がって、調子がいい時って、アイデアがポンポンポンと浮かぶものである。

 

そして調子がいい時って、その全てが「当たる」と思ってしまうものである。

 

しかしながら「変化を拒むユーザー」は多いのである。

 

初期のファンは離れていってしまうし、気付くのが遅ければ遅いほど取り返しのつかないことになる。

 

誰もが納得する「進化」ならば受け入れられるが、

 

一方的な「変化」はユーザーを置いてけぼりにする。

 

instagram運用にしても、会社や店舗単位にしても、

 

「ここは変えない」ということを決めることが長く成長させる上ですごく大事な指標なのではないかと感じた。

 

その「ここは変えない」という部分がいわゆる「コンセプト」であり、まあこんなことは書いてて「当たり前じゃねーか」と思ってきたが、今一度胸に刻み込まねばならないと思う。

 

話は戻って僕のinstagramだが、もう怖いので今まで通りのやり方に戻す笑

 

だが予想では10.5kくらいまで下げ止まらない気がする。

 

でもまたすぐ魅力的なフィードにしてよりたくさんの方に共感してもらえるようにするので安心してほしい。

 

ちなみに、こういう風に微妙に数字や業績が下がってきた時に考えがちなのが、

 

「インフルエンサー」に頼ること

 

だが、

 

それははっきりいって

 

延命措置でしかない。

 

売るものがダサくなったのに、それをオシャレな人が売り手となっても、売れるのは一瞬である。

 

すぐ戻る。

 

やはり自分の力で変えていかなければならないのである。

 

Chao!

 

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とはいえinstagramはね

こんばんは。

 

前々回のエントリーの記事、僕が考えるinstagramがかなりのアクセスになっておりまして、

 

facebookのメッセンジャーでも色々とご質問等頂きました。

 

で、実はまだまだ書き足りない部分がありまして、、

 

というのも、

 

モデルさんにタグ付けしてもらったくらいではお客様来ないよ

 

的なことを書きました。

 

まあ、これはそうだと思っておりますが、しかしながら、

 

instagramを舐めてはいけない。

 

僕は先月に「一般の方向けのメイク講座」をやりますよーとinstagramで告知しました。

 

その結果、

 

速攻で定員が埋まり、今現在13名のキャンセル待ちの方がいる状態で、2回目、3回目と日程が決まるたびに順番にご案内している状態です。

 

ちょっとこれにはびっくりした。

 

しかしながらこのメイク講座のお知らせをする前段階として、

 

僕がモデルさんにメイクをしている動画をちょこちょこ投稿しました。

 

僕のinstagramをフォローして頂いている方はお分かりかと思いますが、

 

正直、写真見てもフィードを眺めても、「美容師」だとか「メイクさん」とは絶対にわからないと思います。

 

しかし「綺麗な女の子が写っているファッション写真」を撮っているだけでなく「ヘア」も「メイク」もこいつがやってるんだ、ということがわかると、それは驚きますよね。

 

その「驚き」がユーザーの「行ってみっか」という行動力につながったのかな、と感じます。

 

つまりはいい写真や動画も必要だし、でももっと大事なのは「マーケティング」で、

そこが優れている人が勝者となります。

 

僕はそういうマーケティングが下手くそすぎて、まだこの程度です。。

 

写真だけ良くても全く意味がない世界なのです。

 

その証拠に、

 

僕がフォローしていて、世界的に有名なフォトグラファーで、

lukas wierzbowskiとterri weifenbach

という方がいます。

lukas wierzbowskiはポストviviane sassenと言われておりまして、イギリスのLulaとかでもお見かけする、作家タイプのファッションフォトグラファーです。

彼女の写真集はどこ探しても売り切れで買えないのですが、、

そんな写真集に載っている写真をランダムに載せている彼女のinstagramは、

フォロワーが2908人です。

terri weifenbachは、「生と死を撮らせたら最強、儚さ日本一」の川内倫子さんと写真集を出していたり、

日本のUnionとかでもお見かけします。

母国オランダでは写真の学校の先生もやっているそうです。

彼女の写真も本当に美しく、「印象派の絵画」のような光の移ろいと超マクロな写真が特徴です。

彼女のinstagramは

フォロワーが366人です。

 

そう、有名な写真家だろうが、写真が美しかろうが、関係ないのです。

 

どう使うか、

 

そして、拡散力のないinstagramは「タグ」が重要です。

 

コンセプトに合い、強力で程よくニッチなタグを何個付けられるか、そんな感じでしょうか。

 

僕も見せ方、勉強します。

 

Chao!

 

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ヤフオクで買った2000円のジャンクカメラで撮った写真がマジで走っている

こんにちは。

 

最近撮影させて頂いた作品なのですが、、

 

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マジで走っている。

 

こちら全て「ヤフオク」で2000円で落札した

 

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ビデオカメラのような形状の怪しいフィルムカメラで撮っています。

 

こちらハーフサイズカメラというもので、フィルム1コマに2枚写せるという、貧乏根性丸出しカメラです。

 

去年の末くらいから写真はほとんどこれで撮ってます。

 

もちろん写せる部分が半分だから、精度が悪くなります。

 

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こんな風におてんばフラッシュが牙を剥いたり、

 

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晴天で撮るとどこからか光が漏れて入ってきて感光したり、、

 

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こんなんなったり。

 

リスク高いですが、、

 

今マッギンレーが来ててこんなん撮りたい、って思う方も多いと思いますが、

 

2009年くらいから彼はデジで撮っているので、感光してるっぽいのは全て加工です(多分)

 

加工の技術を極めましょうね。

 

 

こういう怪しいカメラでチープな撮り方で成立させるには、

 

「モデルが最高」

 

「服が最高」

 

という要素が必要です。

 

普通のちょっとサロンモデルやってます、的な方で、その人の私服とかでチープな撮り方すると、

 

マジで質の悪いスナップにしかなりえません。

 

僕が去年から言っていた通り、あえて「写ルンですで撮る」みたいのがどんどん流行ってきてますが、

 

顔だけじゃなく体型も良くて、衣装でハイブランド着せて、それをチープに撮るからかっこいいし、

 

「今」っぽい感じに仕上がる気がします。

 

最近は衣装協力してくれる方が現れて、ハイブランドの洋服で撮影できてるので、

 

この「怪しいカメラ」でむしろカッコ良く撮れます。

 

そのうち自分で現像できるようになりたいなあ、、

 

Chao!

あまり詳しくない方に贈る「知っておくべきフォトグラファー」新田主観選抜vol.8 全ては等価値、ニューカラー編

こんにちは。久しぶりのこちらのシリーズです。

 

ちなみに、僕が大好きなヨーガンテラーの記事を少し前に書いたのですが、

 

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ヨーガン・テラーと検索すると、

IMG_4984

1ページに僕のblogがでてきます笑

 

死ぬほど好きなフォトグラファーに一歩近付けた、、、ような。

 

さて今回は、

 

ステファン・ショア

 

です。

 


 

消えゆくアメリカ原風景をシリアスなカラー作品で表現するステファン・ショアは1947年ニューヨーク生まれです。

わずか6歳のときから写真や暗室作業を開始し、なんと14歳でニュ-ヨーク近代美術館の エドワード・スタイケンに写真を購入されたそうです。

17歳でアンディ・ウォーホール とファクトリーの写真を撮影、その後連続写真に取り組みます。

1971年にはメトロポリタン美術館で写真家として初個展を開催した、 驚くべき早熟なキャリアの持ち主です。

 


 

いわゆるエグルストンと同時代の

 

ニューカラー

 

というジャンルに括られる作家さんかな、と思います。

 

作品は

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このような感じです。

 

「普通じゃね?」と思う方、多いと思います。

 

ですが

 

時代背景を考えると、これはとんでもない革命だったりします。

 

まずはカラー写真が芸術として認められるのもステファン・ショアやエグルストンの時代ですし、

 

それまでは「決定的瞬間」というのを求めて素早くシャッターを切る。

 

つまり「時間を止める」「時間を切り取る」的な写真が「写真」として存在していたわけですが、

 

ステファン・ショアの写真は、むしろ「このまま続いていく時間」を撮っている。

 

始まりもなければ、終わりもない。

 

まるで彼がかつて立っていた場所に、自分もそこに立ってこの景色を見ているような錯覚に陥る。

 

あとで色々語りますが、この「ニューカラー」の作家は僕は大好きなのです。

 


 

全ては等価値である、アンチクライマックスという写真の捉え方

 

この時代のニューカラーの作家さんの写真は、

 

どこまでも写っている、つまりピントが全てに合っている、という特徴があります。

 

つまりは絞りを思いっきり絞っている、ということになります。

 

ちょっと専門用語的になりますが、おそらくf22とかそのあたりかな、と思います。

 

ということはスローシャッターになりますよね。おそらく粒子の感じをみてもISO100とかだと思うので。

 

つまり、思いっきり絞って、ISO100で、おそらくシャッタースピードは1/60より遅い。

 

この撮り方は、いわゆる瞬間を撮るような写真の撮り方とは真反対です。

 

彼の写真を見ると、「ここを見る」というよりは、「写真全体を見渡す」という見方になると思います。

 

つまり風景や事象は全て等価値である、全ての時間が決定的瞬間である、ということなのです。

 

世界を客観的に、持続していく時間と捉える写真を「アンチクライマックス」と呼んでいます。

 

この「アンチクライマックス」という捉え方は、僕の写真に対する考え方を根本的に変えました。

 

全ては等価値である、ということも。

 

あ、自分がやりたいことはこういうことかも、と。

 

で、全ては等価値、ということをファッションでやったのが

 

アンダース・エドストローム

 

なんですよねえ。こちらの方も少し前にご紹介しましたが、、

 

風景、人、服、全て平等に写しています。

 

僕もこの考え方に習って、思いっきり絞って、ISO100のフィルムで、

 

モデルも髪も服もメイクも風景も全部ピント合わせて写す、ということをやっております。

 

今はふんわりした感じの写真が多いので、僕がやっていることは真逆ですが、僕は天邪鬼なので、こっちが楽しくてしょうがないです。

 

instagramのイイネは減っていくばかりですが笑

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今回の

 

あまり詳しくない方に贈る「知っておくべきフォトグラファー」

 

いかがでしたでしょうか?

 

また色々ご紹介しますので、たまに見てくださいませ。

 

Chao!

 

 

 

 

 

 

フィルムを使ったからといって、レトロでおしゃれな写真が撮れる訳ではなかったり。

こんにちは。

 

わたくしが去年から睨んでいた通り、今はフィルムがブームになっておりますね。

 

写ルンですとかもそうですし。

 

僕は2014年頃からデジとフィルムを両方使うようになりまして、2015年の途中くらいにはフィルムばかりになっていきました。

 

単純に質感が好きなのと、撮ってすぐ見れないのが自分の体質に合っている、という理由で使ってます。

 

モデルさんとか、仕事によってはクライアントさんとかスタイリストに、途中で見せろって言われてもフィルムなら見せれないから見せなくていいし笑

 

で、最近よくフィルムカメラについてメッセージやinstagramのDMを頂くのですが、

 

「フィルムってレトロでおしゃれな感じの写真が撮れるんでしょ?自分も欲しいっす」的な感じなんですよね。

 

いやいやいやいや、そんなことはないよおお。

 

例えば

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バッキバキの写真ですが、フィルムです。

 

デジでバリバリにコントラストと明瞭度上げて加工してるみたいですよね。

 

でも、フィルムで撮ってノー加工です。

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こういうのはまあフィルムならではですが。

 

フィルムには種類がいっぱいあるし、カメラ、レンズによってももちろん違うし、

 

結局「何撮りたいの」っていう部分ですよね、大事なのは。

 

あと「どう撮りたいの」っていう部分。

 

今は超優秀な加工ソフト、vsco filmもあるし、デジで加工でもまあまあの感じにはなります。

 

僕は写真の歴史を勉強して、あるフォトグラファーを模写しているので、その人が使っているのと同じカメラを使っているまでです。実際は。

 

まあでも、楽しいです。フィルム。

 

Chao!

常に視覚から新鮮さと刺激を。

こんにちは。

 

先日に代官山の蔦屋にて、写真集を鬼のように抱え、レジに向かっている時に知り合いに会って、

 

「何冊買うんじゃ?!」と半ば失笑じみたリアクションを頂戴した新田です。

 

ちなみに、、

 

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一部ですが、海外のファッション誌も内容が好きであればパパッと買います。

 

写真集でいうと、月に3、4冊は買うので、年間で40冊はいっていますね。

 

一般的に見れば多いのかもしれませんが、自分はこの3倍は欲しいなあと。

 

ただお金が乏しいのと読む時間がないので、このくらいにとどめています。

 

僕のせまーいコミュニティ内では、この10倍くらい平気で買っている人がいるので、それはさすがにすげえなって感じます。

 

しかしまあ、

 

「何か新しいものを」「新しいイメージを」と言っていて、みんなと同じものを見ていたら、

 

やっぱり難しいんじゃないかって。

 

朝起きていきなりイメージが降ってくるなんて、天才以外そんなのない。

 

毎日毎日の積み重ねの中で、ご褒美としていいイメージがそれまでの自分の鍛錬の結実として身体の中に湧いてくるものだ、と思っています。

 

ですので、僕はテレビはもう4年近く見ていませんし、いわゆる一般誌、女性誌というものもほぼ見ていません。

 

その代わりに、写真集や映画で目に栄養を与えている、という感じです。

 

なぜならば、「素の自分から出てくるイメージ」というものに全く自信がないからです。

 

自分が「いい」と思ってシャッターを切るわけですが、やっぱりその切り取り方が、特に「女の子」を撮ることが多いので、ファッションや美術に触れていないと、「エロ本ちっく」になるのはもう男の人はしょうがないことであり、

 

実際今web上に乱立しているそういった写真に辟易している人は僕だけではないはずで、、

 

ま、こんなこと言いながら自分ももっと頑張らねばいけません。勉強します。

 

Chao!

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オレの写真が走り出した。

こんにちは。

 

今日現像出して仕上がってきた写真を見て、

 

やっと「走ってる写真」が少し撮れるようになってきたなあと感じた。

 

自分的に「走ってる写真」というのは、

 

なんか、こう、走ってるなーーって感じる、というか、

 

写真に押されるっていう感覚?かなあ。

 

写ってるものが一瞬どうでもよくなって、「絵」として「走ってる」というのがすごく大事。

 

音楽とかでも「こりゃ走ってるわ」と感じるものがある。(STUTSのアルバムは全部走っていた)

 

料理とかでも。

 

多分「ヤバイ」とかそういう表現をみんながするものを、「走ってる」って感じる、ということかなあ。

 

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今はいっぱい写真撮る美容師さん多いですけど、

 

オレはこれで行くぜ

 

負けねーよって

 

頑張ってます。

 

Chao!