真ん中


今、仙台での講習を終え、

朝を迎え早々に新幹線に乗り込み、

お土産屋さんの試食のずんだ餅を実食なみに食べ、

今帰路に着いている。

ここ最近、都内地方問わず、

色々な場所でセミナーをお願いされることが多くなってきて、

僕を頼ってくれる人がいて、

僕を売り込んでくれる人がいて、

僕を買ってくれる人がいる。

そこにはひたすらの感謝と、

さながら阪神の助っ人外国人選手のような、

必ず結果を出さなければえらい野次に次ぐ野次で野次られるというプレッシャー。

その2つを同時に内包している。

ここで僕は「真ん中」ということについて考える。

僕は常々思うのだが、

漢字としては

「間ん中」

が意味としては合うんじゃないか。

なんて思っている。

あいだのなか。あいだの中心。まんなか。

「真ん中」

まことのなか。まことの中心。まんなか。

まあこれはともかく。

なんでこんなことを思ったかというと、

僕は今年齢が31歳で、

セミナーをやらせてもらったりすると、

僕よりも年上の方も数多く受講して頂いていて、

なんだか恐縮だなあと多少萎縮することもある。

ただ僕は他の人より一つのことにそれなりの期間はまっていて、

その結果「人に教える」ということができているので、

年齢やキャリアのことなど考えなくてもよいのかもしれないが。

先輩には後輩に対する役目があるように、

後輩には先輩に対するお役目があるのだ。

「先輩」というのは、後輩に対して「自ら進んできた歴史」で語り、

「自らの背中」で語る。

そうして「教えて」「育てる」。

教育。

もちろん食事を奢ることも、

「礼儀作法」を教え、「社会人」として育てる。

そんな意味があるはずで。

じゃあ後輩のお役目とは、

必死の形相で階段を駆け上がり、

その悠然とした正面切った「顔」で諸先輩方を大いに刺激することだと思う。

追いついちゃうよ?

抜いちゃうよ?

と。

言って聞かせて褒めてあげる。

やってみせて悔しがらせる。

僕は常にこういった関係が一番刺激的で、

未来に向かって進撃するエネルギーを常に内包できる同胞だと思う。

ただ常に人はこのどちらかだけ、

ということはなく、

常にどちらにもなるのだ。

あの人から見ればこの人は後輩だけど、

その人から見ればあの人は先輩。

相対性、というやつか。

ただこの関係性に、

文字通り「間ん中」に挟まって苦しむ人もいるだろう。

でも間違っていけない。

間違う。

「間」は「違う」。

真。まこと。

僕もみんなも常に「まことのちゅうしん」にいるのだ。

物事の真の中心にいるのだ。

常に自分が真ん中で、

色んなもののバランスがとれている。

さて今日も大いに背中で語り、

大いに焦らせますか。尊敬の念を最大限に最大化して。

だらだらと駄文を連ねてしまいました。

ピリオド。

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